Tokyo March (東京行進曲), the song that gave Odakyu their name, and for me there is something very romantic about that. The scenes of early-20th century Tokyo in this video are fascinating as well. Parts of it look like a steampunk/decopunk film come to life, especially those of the railway running on the elevated viaducts.
1929年の大ヒット以来、90年もの間多くの方々に愛されています。大好きです、感動します。
震災や戦争がなければ、この時代の東京のモガになりたい。
モガとはなんですか?
@@スタディサプリのババア
当時はモダンガールをモガ、モダンボーイをモボと呼んでいたんです。洋装をしたしゃれた若者たちの事ですね。
2:08 いっそ小田急で逃げましょか?
今より遥かにお硬い時代、当時はまだ小田原急行電鉄が正式名称だった小田急を事前の断りも無く略称で歌詞に出した上に駆け落ちに使うと云った内容に、最初は小田急社内でも「けしからん!」と怒るお偉方も居たようだけど、この歌の大ヒットと共に当時開業間もない無名の田舎電車扱いだった小田急の名が一躍全国に知れ渡る最初のきっかけになり、大変な宣伝効果を果たした。
後に小田急は西條八十に終身無料乗車券を感謝の意を込めて贈呈している。
絶対に無理とは分かってるけれど、一回でもいいからこの時代の東京に行ってみたい…
行ってみたい…
歌詞は「ジャズで踊ってリキュルで更けて」とか
「シネマみましょかお茶のみましょか」とか楽しそうなのに、
曲調はもの哀しそうな、どんどん発展していく大都会の活気や喧騒の裏の寂しさみたいなものを感じる。
素敵な感性をお持ちですね。
とても好きな解釈です。言われて確かにな、と思います。
@@ロンドン ありがとうございます!
哀愁こそ日本🎵
子供の頃、NHK連続ドラマで佐藤千夜子さんを扱ったドラマがあってそこで初めて聴いた曲でした。歌詞も旋律もとても美しい。この頃に生きてみたかったと思います。
S Hitomi
それは「いちばん星」という題名の連続テレビ小説ですね。1976年の放送で、主演は高瀬春奈のち五代路子,共演は伴淳三郎、柳生博ほかの皆さんでした。
便利な世の中は今の方が圧倒的だけど、このころの日本人には今の日本にはない
大らかで純粋な心があったと思う。
今は何でも個人情報、個人情報で人を見れば疑って掛かれの時代。
世界一平和な国日本と言われているけど、当時の方が圧倒的に日本人の心は
澄んでいる。
貴重なフイルムですね。歌と街の様子や人々の通行、歩いている人の会話はどんな話題だったでしょう。人の気持ちは今と変わらないと思いますが時代の様子はめまぐるしく変わるものですね。戦争前ですから貴重な映像だと思います。戦後は一から出直しですね。でも歌はそのまま残ります。多くの人達に愛されたことでしょう。私達も当時の世相を正しく理解して未来に行進しましょう。そうです。前向きな気持ちこそ 大事ですよ。
戦前と言っても、昭和初期は戦争もしてませんし平和な時代ですよ。ただし、世界恐慌の影響で次第に帝国主義の色が濃くなっていくのですが。
昭和初期の東京
それは大正12年(1923年)9月1日の正午前に発生した「関東大震災」で明治以来積み上げてきた物が大損害を受け、復興に励んでいた時
横浜の実家は昭和初期にそれまでの茅葺き家屋が壊れ、道路拡張もあり瓦葺きに建て替えました。
昭和7年はチャップリンが日本にやって来た年、五一五事件も起きていますが、震災後約10年、人々はなんとか落ち着いた生活を取り戻した時期じゃないでしょうか?
関東大震災の後の東京の映像がこれってすごいな
親戚の高校生がこの曲が一番好きだと言った時は少し驚いた。やっぱ神曲は何年経っても色褪せないんやなって
地下鉄、近代的なビル、街路樹、ボートで楽しむ人たち
音楽、映像こそは古さを感じるが実際にその場にいたら
昔とは思えぬほど発展した町だったんだろうと伺える
朝ドラ一番星で放映された、
日本🗾で初めての👩女性🚺歌手として、知られている、
佐藤千夜子さんの曲🎤🎼🎶🎵💿ですね。
当時は、モダンボーイ、モダンガールと言われた時代だと思いますが、時代の背景、情景描写が想像できますね。
野口雨情、中山晋平さんの曲で、🎤🎼🎼🎶🎵💿知られていますね。
イイデスネ。
今、此の様な曲は、少なくなりましたが、懐かしくもあり、言葉が美しいデスネ。
イイ曲聞かせていただきどうもありがとうm(_ _)mございます。❤😊😅♥️🥰😍🎤🎼🎼🎶🎵💿
名曲ですね。祖母がよく歌っていました。明治生まれだからね。
ちゃかちゃんちゃんちゃかちゃちゃんの、リズム感の曲の流れは懐かしい!
きれいな時代だなぁ。束の間の、日本史上最高に美しかった時代。ああもったいない。
いっそ小田急で逃げましょか♪
これを聞いてウチはそんな田舎電車ぢゃない!と言ったそうですが、この頃の小田原急行電鉄は厳しい経営で、その長い距離の大半は閑散とした旅客少数区間。
そこで人目を忍んで…と言う歌詞が出来たとか。
今では想像出来ませんが、その労苦が今日のロマンスカーに活きているのですね。
・・・この歌がきっかけで小田急は人気が出て、西條先生小田急のタダ券みたいなのを貰ったとか、貰わないとか・・・
そんな事が!!!!!(笑)
@@トレインタイムス 殿。
西條先生の本、我愛の記の確か
いっそ小田急で逃げましょか
の中で書いてありました。
最初は『駆け落ち列車とは何事か?!』とどやされ、(当時社名が小田原急行鉄道だった
)
社名が小田急に(昭和16年辺り)なってから永久無料パスなる物を頂いたと書いてありました(『歌とは時によっては・・・』な結論だったかな?これは記憶に自信が無いな)。
まあ、小田急側からの資料の裏打ちが無いので(東京行進曲のWikipediaには載ってましたが)、
有ったとか、無かったと言う表現を使いましたが・・・。
当時の経営陣が「そんな地方線ではない」と憤慨したお話は何処かで拝見致しましたけれども、世情は既に深刻な時代になっていた訳ですものね...
戦時事業者整理統合の際に国鉄と交流が深まった事で、後のSE実現の下地になったとも...
加えて一説には沿線の農産物が随分運ばれて、どれだけの都民が飢餓から救われたか知れない、とも...
今では全く考えられませんけれども(笑)
当時、「小田急」と言う言葉は、ありませんでした。この曲で誕生したのです。しかし、電鉄側は当初、「小田原急行電鉄を、許可なく、勝手に小田急と省略するのは、けしからん」と怒ったそうです。やがて、曲が売れ出すと、若い男女が「金色夜叉」の舞台、熱海に行くため、小田急を利用するようになったのです。予想外の展開に電鉄側は、大変喜んだそうです。
私の父はもう亡くなりましたが、若い頃から、東京の工業大学の夜間学校に通いながら、自動車会社に行き、整備士の免許を取りました。その東京に居る時の事の全容は分かりませんが、多分私の想像ですが、この東京行進曲の様な事が有ったのでは無いかと、この曲に凄く思入れが有ったと思います。私もこの曲を探していつも懐かしく聞いて居て、涙がでます。
東京行進曲はまさに歌謡曲の中では神曲だ
私の中でも、です。
昭和11年の東京ラブソディーもいいですよ
この歌の歌手の方のお話をNHKの朝のドラマを高瀬春菜さん主演後に五代路子さんで見ましたよ。
その時に伴淳さんが子供達に里芋煮付けを食べさせてあげましたよ、子供達の喜ぶ顔が今も忘れられませんよ。
当時の活気が伝わってきて良い
時代だったというのが分かりますね
懐かしいね。昭和を思い出す風景ですね。昭和の時代がよかったですね。
昭和4年の東京の街の様子が見れて貴重な映像ですね。この時代も大きなビルがあったのですね。人の様子や車の動きなど見られて歌よりも感動しました(失礼)でもこの歌も貴重ですよ
時代ごとに人の気持ちや感情は変わっていきます。だから歌もその時代に生き、人々に感動を与えるものですね。アップありがとうございます。楽しく勉強出来ました。今後もよろしくお願い致します。
懐かしい 懐かしい曲です、有難うございます。
歌詞の4番の最後に武蔵野という地名を入れたのが凄い。
歌を聞いて、東京に行きたくなりました。この風景を探しに。面影の残るところを見てみたいです。
一番は東京駅ですね〜〜
そうですね。外観だけでも。
佐藤千夜子さとうちやこ懐かしい。私がまだ20歳のころ生きていた。老後は生活に困っていたようだった。古賀政男のところに何か持っていき、買ってもらったようだ。
kaisermuto 失礼ですが今おいくつですか?
私は佐藤千夜子の親戚だと祖母に教えられていて知りたいんです…
@@fu-6584 戦前の生まれ。
現在に欠けていて かつ昔の時代にも同様に欠けていたものを 昔の時代にあったかのように映し出そうとする これを希望的観測という
昔の人は人情があった 美しい世界が って 人間が利己的でなかった時代は歴史上存在していない ならば 今程ひどくなかろうと思っても過去なりに未改良な嫌なことは多かったろう 回顧して美化したくなる気持ちはあるが 現時点に立脚した自己中心にならないように 知らぬ所は知らぬまま醒めていようではないか
この町並みが、戦争で焼け野原に。でも日本人ってよく頑張ってる。
100年ぐらい昔って江戸時代とたいした変わらないと思ってたけどビルや電車もあったんだ
Tokyo March (東京行進曲), the song that gave Odakyu their name, and for me there is something very romantic about that.
The scenes of early-20th century Tokyo in this video are fascinating as well. Parts of it look like a steampunk/decopunk film come to life, especially those of the railway running on the elevated viaducts.
昭和4年。4月には神奈川で小田急江ノ島線が開通。年末には東京駅に八重洲口が誕生。
このように日本の鉄道史、そして経済発展の歴史においても記念される年だ。
戦時中と聞いてイメージする人も少なからずいらっしゃるはずの、あの国民服令が下される約10年前の事である。
この愛らしい歌で描写される銀座の街並みや人々の姿も、そんな暗澹たるイメージとはかけ離れており、この白黒映像であっても十分に魅力的だ。
もっともその翌年、昭和5年は激動の年となる。アメリカが陥った恐慌の波がついに日本にも押し寄せて、いわゆる昭和恐慌に陥る。世間はのんびりした状況ではなくなった(恐慌直前に公開された映画のタイトル『大学は出たけれど』が流行語となった)。
10月には台湾で凄惨な霧社事件も発生。
生糸のアメリカ輸出が激減した東北の農村部では、さらにその翌年、昭和6年の冷害の影響も重なって飢饉が発生。
この悲惨な飢饉は、関東軍によって9月に決行された柳条湖事件とそれを皮切りに開始された軍事行動(いわゆる満州事変)、そして昭和11年2月の陸軍皇道派の若い将校たちによるクーデター未遂事件-二・二六事件の実行を促した背景にもつながる。
満州事変は日中戦争、そして太平洋戦争へと連鎖していく。
この銀座の美しさは砕け散る直前のガラスのように儚いものだ。
自分もこんな街を穏やかな日差しの下でのんびり散歩してみたくなる(余談になるが、川端康成の小説で描写されるような当時の浅草の路地裏には、少し怖気づいてしまうものの猥雑で怪しい雰囲気の魅力が立ち込めている)。
それだけに終戦直後の、あの焼け野原となった東京の姿は痛ましい。
もちろん銀座も浅草も壊滅した。他の街と同じくバラック小屋のひしめく闇市として再スタートを切ったのだ。
そして混沌の荒波をくぐり抜け、やがてその闇市も姿を消してゆき現在の姿に至る。
このかつての美しい街と隣り合わせで歴史は絶えず鳴動していたのだと考えると、いつの時代も、今もきっとそうなのだろうと感慨深い。
昭和4年なら、その16年後焼け野原になるとは誰が想像したでしょう。
2:12は秋葉原の松住町架道橋ですね。動画で残っているとは嬉しいです。ニコライ堂も聖橋も当時は目立ってたんですね。これからも残していかないといけません。
2:12
たしかに帝国憲法と天皇制の下で軍国主義に走っていた時代であるが、おおらかな人々の生活の営みや素直な心根が存在したことも事実。この時代を肯定するわけではないし、賛美する気も全くないが、ふと現在の日本は果たして平和国家なのか、日本国民は豊かな感性を持ちえているのか、と考えてしまう。
どんな国だって戦争になれば軍国主義になるだろ。戦前全てが軍国主義だったと思っている日本人が多すぎる。完全に戦後教育のせいだが。
そもそも軍国主義とは一説によれば戦勝を国家の最高目的とする国家でありますが、
@@jphistoricalrecords2753 大日本帝国憲法というシステムに欠陥があったのです。権力が暴走しだすとそれをストップする機関がない。もちろん戦後のような言論の自由もない。
団塊世代だなw
左翼に浸かりまくった教師に教えられたのだろう。。。
@@alfayoko 大日本帝国憲法は明治時代の全てを結集し、血の滲む議論のうちに考え出された物だ。
今の押し付け新興憲法なんぞよりマシだ。たった数日で書いた日本国憲法と10数年かけて書いた大日本帝国憲法、良し悪しは抜きにして、後者の方が憲法としては上出来だろう。
また、時代背景を考えずに言論の自由なんぞ抜かす奴は思考停止してると言わざるをえない。
当時を今の価値観で考える奴ほど馬鹿な奴は居ない。
以前から何度も拝見しています!
貴重な動画UPありがとうございます!
高校の時、日本史の授業で聞かされたなー。なつかしい。
いっそ小田急て逃げましょかっていうのが印象に残ってる。
映像は7年前の関東大震災の惨状から、ほぼ復興のころの東京の姿ですね。
ありがとう 胸が熱くなります
♬いっそ小田急で逃げましょか〜、のフレーズがなんか好きだわ😂
神曲
ダンテ作曲。(笑)
大正生まれの祖母曰く当時のモガモボは、奇抜な服を着た擦れっ枯らし(阿婆擦れ)を指して居たので、今で言う迷惑ヤンキーみたいな扱いだったので現代のお洒落なイメージとは程遠いような。😅
聖橋は今でも変わらない。昔の街はきれいだった。
戦争前は、平和で、
モダンな街並みですね~☺️
戦争は、辞めて欲しいです‼️
やっぱり、東京行進曲が、いいです。間奏も、楽しい。
My grandma was 12 years old in this time.
この時代の人も江戸や明治時代はよかった。それに比べて今の人間は・・・って思ってるんだろうなw
ウッディ・アレンのミッドナイトインパリって映画がそういう映画だった
レコード歌手第一号
ここから始まりました。
プロ歌手やってる
私でも千夜子さんの
音域は出せません。
レコード歌手第一号は、松井須磨子のカチューシャの唄です。
私は30年ごろ、働いていました。
景色の違い参考になりました。
こんないい歌が有るのに、うちの両親は興味が無い!同じようなギターのボロンボロンの演歌ばかり聴きたがる、何故昔の歌を古すぎると文句を言い聴かないのだろうから?
苦労して辛い過去を思い浮かべるから🦆
当時は小田原急行電鉄でした。4番の「いっそ小田急で逃げましょか」は「勝手に略した上に駆け落ちで出てくるとは何事か💢」と小田原急行電鉄幹部の怒りを買うも、のちに小田急が正式名称になり、作詞者西條八十は永久無料パスを贈呈されるという伝説のような実話はこの歌が起源です。
戦前の銀座、浅草ありがとうございました。
今は数寄屋橋はなくなっちゃったけど、柳は健在‼️銀ブラたのしいよ〜ビルの建て替えが進んでて、それを見るのもおもしろいよ。
この東京行進曲歌った佐藤千夜子の半生も、朝ドラの題材になったらしいですね。
私の祖母は浅草生まれでこの時5歳くらい
20歳くらいで東京大空襲、水を被って逃げたそうですw
ありがとうございます。
この時代の東京行ってみたいような気がする😀
これ、歌詞の4番に、小田急が出てくる歌だ。
彼方に消えてゆく時の流れが全て夢ならば 今も昔も 貴方も私も 夢も希望も 観測される意味は在りません 書かれた事実も本来無いのでしょう
カンカン帽かぶって帝都を闊歩したい!
Love that.
「それとも小田急で逃げましょか」の歌詞に当時の小田急のイメージが出ていますね。今とは大違いだ。
1:52のラインダンスの速さが超人技だ!(笑)
フィルムの高速再生だろ
@@さはらけんすけ やめろ
何のかんの言って、当時の国際標準に照らしてみて、大日本帝国は結構リベラルな立憲君主制国であったと思います。
日比谷から急に井の頭公園が映る、当時の井の頭公園の映像は貴重だ
明治維新のとき先祖が上京し、それから東京にいるが、これに出るビルの大半は昭和40年代まで残っていた。それと震災による倒壊家屋は東京にはなく、全部、火災によるものだ。戦災は下町が大半だが、けっこうマダラ。また東京都(市)の復興支援は相当のもので、空襲で焼けるとすぐに、新規・古材・廃材を集めてきて、復興住宅支援をやり、すぐ家はたつように出来ていた。灰燼といっても期間は三カ月もないのでは。とにかく日本の地方公務員はすごいよ。池は埋める堀は埋める墓地は廃止、学校は瞬時に出来上がる。少なくとも直後から行く学校がないという児童はいなかった。
当時は東京市がありましたね
小田急が当時は小田原急行だったから揉めたらしいけど、しれっと小田急に変えて丸くおさまったみたいね。
前年張作霖爆撃
3年後515事件
7年後226事件
すごい時代だよね。
中学生の頃こんなの聴きながら自習室で受験勉強してたのなかなかいかれてて草
同時代、満州事変と2・26事件を経て盧溝橋事変から日中全面戦争に拡大し、最後は焼夷弾と原爆で日本中が焼け野原になるなんて、誰が想像し得ただろうか?
0:29井の頭公園
0:46まで
小田急の語源
此の佐藤千夜子さんは、山形生まれで、レコーディングの時、お国訛を治すのに御苦労されたとか…
曾祖母が大連転勤から帰ってきた頃だ。祖母は澁谷の東急で新入社員だったかしら?両親が生まれる前…226事件って怖いね…
素朴な地夜子の声はよろしい
。
学校の課題でこの時期に誕生した文化と生活を象徴する事柄を歌詞の中から答えろとかいわれたけどわかんねえ
昭和の丸ビルは格式があったよ😢
ああ。。 こんなに素晴らしい、植民地化の波から唯一逃れた美しい国の都市が、16年後には灰と化してしまったとは。。。
悔やんでも悔やみきれない。江戸からの建物も、多くが燃えて消えてしまった。近代まで生き残ったのに。
東京はこの曲を都歌にすべき‼️
なんたる美しいせつないメロディー!!
おばあちゃんの大好きな曲です(^ω^*)
光GENJIもいいよ
田部あつみや太宰治が居た時代。
昭和初期の東京は、今の大阪と名古屋の町の大きさかな。
今 東京 という文字には 計り難いノスタルジーを感じる😢
おだきゅろうかな…
長い髪して マルクスボーイ
今日も抱える 「赤い恋」
変る新宿 あの武蔵野の
月もデパートの 屋根に出る
ブンチャカブンチャカ…
音楽のレトロ新しい感じ。
君君舞と比べてるあたし。
おい、聖橋に、ニコライ堂が出てるぞ。その前は、松住町だ。
世界恐慌の年❗
祇園精舎の鐘の声
諸行無常の響きあり
この人のキーは一体何なんだ? 楽譜はほとんどCm
聖橋!
小田急は逃げる線か
こん時から俺の町より都会ってなんなの東京💢
佐藤千夜子さとうちやこ
小田急で逃げるってことは、箱根にシケ込むって事かな。
私事 市丸姐さんには可愛かられた。
東京の唄だけど山形の人なんだよなぁ
西条八十さいじょうやそ
西条八十天才
hi
hi.
中山晋平なかやましんぺい❤